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御前様こと大本山護国寺第五十三世貫首 岡本永司大僧正台下を慕う有志が、御前様の許可を得て作成しているブログです。

「妙・絶妙」


 

 「なんとも妙な話だ」とか「体操の選手が絶妙の演技を見せた」とか不断に使っている妙という言葉ですが、妙とは何でしょうか。

妙のつく仏教語はたくさんあります。妙音・妙見・妙典・妙法・妙高山など数えればきりがありません。妙とは「較べるものが無い程すぐれている」とか「頭で思いはかることが無い程出来ない程すばらしい」ということを表現する形容詞で、妙えなる教である仏教を妙経などと申します。
しかしこの妙すら言い足りないほどすばらしかったらどう表現しますか。そうです前述の絶妙といいます。「妙を喚んで絶となす。絶はこれ妙の異名なり」と法華玄義にあるように絶妙とは同義語を二つ重ねることによって意味をぐんと強める言葉になります。帰るといわずに帰還と言ったり、衣と服を重ねて衣服というようなものであります。絶は絶対ということで相対の反対語で比較することが無いという点で妙と同義語になります。

しかし今は「あの人は妙な人だ」前述の「妙な話だ」という時は比較するもののない程すぐれたという意味ではなく、普通でない、変ってるという悪い方に使われるようになってしまいました。本来誉めことばであったものが悪い使われ方になったのは沢山あります。貴様、無学、無分別などなどであり、注意したいものであります。言葉本来の尊さ美しさを使いつづけたいとおもいます。
 大本山護国寺貫首 岡本永司

怒らず 恚らず



「売り言葉に買い言葉」という言葉があります。相手から受けた暴言に対し、こちらも同じような暴言をはいて言い返しついには喧嘩になってしまいます。
いずれにしても同じレベルで言い合い、言い返していて、互いの立場、互いの意地がぶつかり合い硬直状態におちいってしまいます。
こうしたかたくなな心は一朝一夕には、ほぐれずいつまでも私達の心を悩ませます。

「水よく石をうがつ」という言葉がありますが、一滴一滴たえまなく水が落ちてついには固い石にも穴をあけるようになる意味であります。
私達の心はともすると自分は正しい、自分は間違っていないと思い込む自分への執着心があり、それが硬直しがちであります。
執着心を捨てろと言われてもそう簡単に捨て切れないのが本心であります。
そうした時に毎日毎日少しずつでも仏の教えを思い起こし、かみしめ実行して行くことで次第にものの考え方、思い込みも変り相手をゆるす心が生れて参ります。つまり大きな包容力が育ち豊かな心になって参ります。

大きな心とは決して鈍感になるということではなく硬直し、固まった心を次第にほぐし、柔軟な心、やわらかく物事に処する心が生まれ、一日一日が新たな喜びをもって迎えられるようになることであります。仏教学の大家金子大栄先生は「人生はやり直すことは出来ないが見直すことは出来る」と申しておられます。人や物に対するに同じレベル同じ立場で処するのではなく別の角度、違った立場で見直す柔軟な心を育てて参りたいものであります。
 大本山護国寺貫首 岡本永司


仏教日常語


 

道 楽

 仏道修行によって得られたさとりのたのしみをいいます。阿育王経巻八に「今己得道楽」とあり、又法華経にも「道を以て楽を受け」とあるように法悦の境界をいうのである。現在の日常語で使われている意味とは大変かけはなれてしまっております。「道楽息子」 「食道楽」 「道楽者」

 

娯 楽

本来は増一阿含経に「迷あり、娯楽を以て断ずることを得」とあるように本来は精神的な安らかさと楽しさを覚えることでありました。それが次第に音楽、歌舞、演劇を自ら演じたり見たり聞いたりする楽しみに変わってきました。原始仏教教団ではこれ等は一切許されなかったが大乗仏教に至り大衆に普及する為に仏塔礼拝の折など音楽歌舞が行われました。

 

安 楽

仏の世界の楽しさ心安らかで苦学の無いことをいうが、本来は阿弥陀如来の在す極楽の別名で経に「其の佛の世界を明けて安楽と云ふ」とあり安穏快楽なるさとりの世界をいいます。
 
大本山護国寺貫首 岡本永司

「秘 密」


内証話しとか秘密の話しとか私達は普通に使っており、内容は同じように考えられております。しかしいずれも違う意味を現す大切な仏教語であります。

内証とは自分の心の内のたしかなさとりのことであり、秘密とは我々凡人には理解出来ない程深遠な教えのことであり、又仏教がわざと明にせず、隠された意味を持って私達衆生を導き、教えを説かれることを申します。

弘法大師は真言密教の教学を深く研究され、この秘密を二種類に分類されました。一つは衆生秘密で他は如来秘密であります。衆生秘密とは私達は本来仏心(仏性)を持っているけれども煩悩に犯され妄想がさかんであってその雲に覆われており大切な仏心が隠されてしまっている状態であることをさしております。この仏心が表面に現れることが弘法大師が説かれる即身成仏であります。

如来秘密とは仏様が私達を導き、教えをほどこされるに際して、私達の機根(能力)理解力がまだ充分ではないとして秘密にしておられることであります。例えば中学校では三から四は引けるとしてマイナスの数学を教えますが、小学校では三から四は引けないと教えます。これは先生が生徒の理解力を計っておるのであり、決して意地悪で秘密にしているのではありません。

この様に仏様はいろいろな手段(方便)を考えて私達を導かれるので時として相手に他の人と逆のことを説いたり敢て教えなかったりされます。この様に仏の秘密は程度の高いものでありますが、我々人間の考える秘密は企業秘密とか軍事秘密とか自己自国の利益優先の秘密ばかりであり、如来秘密は衆生を正しく救うために説いたり説かなかったりする高度なものであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司

象供養

天上天下唯我独尊



(てんじょうてんがゆいがどくそん・てんじょうてんげゆいがどくそん)

相好・仏頂面


私達は、うれしいこと、たのしいことがあると相好を崩したり、嫌なこと、苦しいことがあると仏頂面になるなど悲喜こもごもな顔つきをします。 にこやかに笑うことを、相好を崩すといいますが、この相好とは何を指す言葉でしょうか。お釈迦様は二千五百年前インドにお生まれになった大聖者ですが、只の人ではない証拠として顔や身体に百二十種のすぐれた特徴を持っておられたと伝えられております。仏教では菩薩の位にある方には更に八十種類のすぐれた特徴があり、また如来の位の方は更に三十二種のすぐれた特徴が加わって、尊くありがたい容姿を持っておられるといっております。これを三十二相、八十種好と申して仏菩薩は、このすべての相と好が欠けることなく全部そなわっているということです。相好具足という言葉がありますが、これは容貌が仏様のようにすぐれた姿、形を表現したものであります。相好を崩すというのはこの相好がほころび崩れること、つまりにこやかに笑うことを申しております。 その反対に仏頂面とは、これも三十二相の一つで、お釈迦様の仏頂から生れたという仏頂尊の顔を申します。この仏は威厳に満ち、きびしい面相をしておられるので、俗に無愛想なふくれっつらを仏頂面というようになりました。 私達は「これが人間の顔か」と疑いたくなるような多くの表情があります。その場その時に応じてさまざまな顔や形を演じております。出来るだけ仏菩薩の相好に近づくようになり、鬼や餓鬼、悪魔の相にならないように心したいものです。 大本山護国寺貫首 岡本永司 【お知らせ】 日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

「梵音具(ぼんのんぐ)」


 

 法要に用いられる楽器や修行寺に用いられる鳴物には多くの種類があります。鐘磬の鐘は梵鐘(洪鐘)のことで磬は導師の座の右側にある平らな金属製の打ち鳴らしをいいます。そのほか梵鐘を小型にした半鐘、祈祷や法要に用いられる太鼓や錫杖、或いは鐃鉢、木魚、修法や詠歌に用いられる鈴・。神社、寺院の礼拝の折りに鳴らすスズや鰐口等をすべて梵音具といいます。

これらの仏具をよくよく考えてみると二つの使用目的が考えられます。即ち
梵鐘半鐘魚板のように大衆に法要の開始や修行僧の入浴、食事等を知らせる合図に使うものと・磬・木魚・音木のように法要に用いられる二種類に分けられます。しかしこれらは前述のような目的に使われるばかりではなく、大変深い意味を含んでおります。たしかに梵鐘や半鐘、磬や木魚などは人を呼び集める場合や読経の声を合わせたり、経の始まりを知らせるために使われます。

それだけなら単なる道具と異なりません。この梵音を聞く者は私達人間ばかりでなく、その響きや音は我が心の奥深くに伝わると共に、地獄・餓鬼・夜叉・鬼神などが多くの異次元の世界に堕ちている衆生にも伝わります。

梵音具を鳴らす時、その音は現実を越えた異次元世界、即ち霊界の亡者のために聞かせる仏の説法の声であります。そのように心得て、皆様もご自宅で仏壇の綸を打ち鳴らす時は、深い意味を心に念じて打ち鳴らして頂きたいものであります。
 大本山護国寺貫首 岡本永司


【お知らせ】

日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

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「彼岸会(パーラミーター到彼岸)」


六波羅密行(六度行)

 

布施

 欲張らないこと。そうすると人に物や心をあげることができる。

仏教では布施を最も大切な行としておりますが、それには施者・受者・施物の三つが清浄なものではなくてはならぬとしており、これを三輪清浄といっております。他に布施(ほどこし)をさせて頂くことで自分の心が豊かになる。(喜捨)

 

持戒

 約束をまもること。そうすると人に信用されるようになる。

仏法には五戒・十善戒などがあるけれども私達凡夫にはとてもそれを完全に守ることは出来ません。そうした自分の弱さ、至らなさを強く反省し許しを乞う行。

 

忍辱

 怒らないこと。そうすると人と争わなくなる。

仏教ではこの世の中を娑婆、忍土と申しておりますが、私達は生きて行く上でどうしても他に迷惑をかけずには生きて行けません。お互いに許し合うことの行。

 

精進

 怠けないこと。そうすると仕事がすすみ、はかどる。

私達はとかく何事にも一生懸命頑張り努力することが求められますが、仏教では頑張るというのはあまりよくないこととしております。他をおしのけるのではなく、頑張らずにゆったりとした、ゆとりのある生き方即ち「中道」を行けと申しております。

 

禅定

 気をちらさないこと。そうすると心が落ちつく。

これは精神を一点に集中するのではなく、世の中の常識を離れて心を広く開放して行くことを目指します。

 

智慧

 よく考えること。そうすると物事がよくわかって来る。

以上五つの波羅密行の実践により世間の知恵(人間の物差し)をはなれて、凡てを差別なく見通す仏の物差しを得ることを申しております。

 

お彼岸の七日間は亡くなられたご先祖さまに感謝すると共に、この六つのことを守りますとお誓いする。春秋の「生活のくぎり」の期間であり、私達の日常生活への反省と努力をすることであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司

【お知らせ】

日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

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「般若の智慧」


般若の智慧

 
一、徳が濁れば毒になる

(不殺生・不偸盗・不邪淫)
二、
 口が濁れば愚痴になる

(不妄語・不綺語・不悪口・不両舌)

三、
 意志が濁れば意地になる

(不慳貪・不瞋恚・不邪見)
 

 濁りが澄めばきれいになる一度濁ったものがきれいになるとめったに濁らなくなる。

 
大本山護国寺 貫首 岡本永司


【お知らせ】

日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

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