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御前様こと大本山護国寺第五十三世貫首 岡本永司大僧正台下を慕う有志が、御前様の許可を得て作成しているブログです。

象供養

天上天下唯我独尊



(てんじょうてんがゆいがどくそん・てんじょうてんげゆいがどくそん)

相好・仏頂面


私達は、うれしいこと、たのしいことがあると相好を崩したり、嫌なこと、苦しいことがあると仏頂面になるなど悲喜こもごもな顔つきをします。 にこやかに笑うことを、相好を崩すといいますが、この相好とは何を指す言葉でしょうか。お釈迦様は二千五百年前インドにお生まれになった大聖者ですが、只の人ではない証拠として顔や身体に百二十種のすぐれた特徴を持っておられたと伝えられております。仏教では菩薩の位にある方には更に八十種類のすぐれた特徴があり、また如来の位の方は更に三十二種のすぐれた特徴が加わって、尊くありがたい容姿を持っておられるといっております。これを三十二相、八十種好と申して仏菩薩は、このすべての相と好が欠けることなく全部そなわっているということです。相好具足という言葉がありますが、これは容貌が仏様のようにすぐれた姿、形を表現したものであります。相好を崩すというのはこの相好がほころび崩れること、つまりにこやかに笑うことを申しております。 その反対に仏頂面とは、これも三十二相の一つで、お釈迦様の仏頂から生れたという仏頂尊の顔を申します。この仏は威厳に満ち、きびしい面相をしておられるので、俗に無愛想なふくれっつらを仏頂面というようになりました。 私達は「これが人間の顔か」と疑いたくなるような多くの表情があります。その場その時に応じてさまざまな顔や形を演じております。出来るだけ仏菩薩の相好に近づくようになり、鬼や餓鬼、悪魔の相にならないように心したいものです。 大本山護国寺貫首 岡本永司 【お知らせ】 日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

「梵音具(ぼんのんぐ)」


 

 法要に用いられる楽器や修行寺に用いられる鳴物には多くの種類があります。鐘磬の鐘は梵鐘(洪鐘)のことで磬は導師の座の右側にある平らな金属製の打ち鳴らしをいいます。そのほか梵鐘を小型にした半鐘、祈祷や法要に用いられる太鼓や錫杖、或いは鐃鉢、木魚、修法や詠歌に用いられる鈴・。神社、寺院の礼拝の折りに鳴らすスズや鰐口等をすべて梵音具といいます。

これらの仏具をよくよく考えてみると二つの使用目的が考えられます。即ち
梵鐘半鐘魚板のように大衆に法要の開始や修行僧の入浴、食事等を知らせる合図に使うものと・磬・木魚・音木のように法要に用いられる二種類に分けられます。しかしこれらは前述のような目的に使われるばかりではなく、大変深い意味を含んでおります。たしかに梵鐘や半鐘、磬や木魚などは人を呼び集める場合や読経の声を合わせたり、経の始まりを知らせるために使われます。

それだけなら単なる道具と異なりません。この梵音を聞く者は私達人間ばかりでなく、その響きや音は我が心の奥深くに伝わると共に、地獄・餓鬼・夜叉・鬼神などが多くの異次元の世界に堕ちている衆生にも伝わります。

梵音具を鳴らす時、その音は現実を越えた異次元世界、即ち霊界の亡者のために聞かせる仏の説法の声であります。そのように心得て、皆様もご自宅で仏壇の綸を打ち鳴らす時は、深い意味を心に念じて打ち鳴らして頂きたいものであります。
 大本山護国寺貫首 岡本永司


【お知らせ】

日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

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「彼岸会(パーラミーター到彼岸)」


六波羅密行(六度行)

 

布施

 欲張らないこと。そうすると人に物や心をあげることができる。

仏教では布施を最も大切な行としておりますが、それには施者・受者・施物の三つが清浄なものではなくてはならぬとしており、これを三輪清浄といっております。他に布施(ほどこし)をさせて頂くことで自分の心が豊かになる。(喜捨)

 

持戒

 約束をまもること。そうすると人に信用されるようになる。

仏法には五戒・十善戒などがあるけれども私達凡夫にはとてもそれを完全に守ることは出来ません。そうした自分の弱さ、至らなさを強く反省し許しを乞う行。

 

忍辱

 怒らないこと。そうすると人と争わなくなる。

仏教ではこの世の中を娑婆、忍土と申しておりますが、私達は生きて行く上でどうしても他に迷惑をかけずには生きて行けません。お互いに許し合うことの行。

 

精進

 怠けないこと。そうすると仕事がすすみ、はかどる。

私達はとかく何事にも一生懸命頑張り努力することが求められますが、仏教では頑張るというのはあまりよくないこととしております。他をおしのけるのではなく、頑張らずにゆったりとした、ゆとりのある生き方即ち「中道」を行けと申しております。

 

禅定

 気をちらさないこと。そうすると心が落ちつく。

これは精神を一点に集中するのではなく、世の中の常識を離れて心を広く開放して行くことを目指します。

 

智慧

 よく考えること。そうすると物事がよくわかって来る。

以上五つの波羅密行の実践により世間の知恵(人間の物差し)をはなれて、凡てを差別なく見通す仏の物差しを得ることを申しております。

 

お彼岸の七日間は亡くなられたご先祖さまに感謝すると共に、この六つのことを守りますとお誓いする。春秋の「生活のくぎり」の期間であり、私達の日常生活への反省と努力をすることであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司

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日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

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「般若の智慧」


般若の智慧

 
一、徳が濁れば毒になる

(不殺生・不偸盗・不邪淫)
二、
 口が濁れば愚痴になる

(不妄語・不綺語・不悪口・不両舌)

三、
 意志が濁れば意地になる

(不慳貪・不瞋恚・不邪見)
 

 濁りが澄めばきれいになる一度濁ったものがきれいになるとめったに濁らなくなる。

 
大本山護国寺 貫首 岡本永司


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日曜あさ9時は護国寺へどうぞ。本堂で観音経を唱え、その後、御前様のお話が聞けますよ。毎週日曜あさ9時、護国寺本堂へ直接おいでください。申し込み不要、参加費は無料です。護国寺へは東京メトロ有楽町線護国寺駅下車、1番出口をご利用ください。

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「道 場」


道場というとすぐに思いうかべるのが剣道や柔道の道場と皆さんは考えられるかと思いますが実は、お寺の本堂こそが本当の道場なのであります。お釈迦様は二五〇〇年前インドの北の方尼蓮禅河のほとりガヤという所の菩提樹の下で座禅をされてついにお悟りをひらかれました。その折の場所を金剛坐と申し、梵語でボディマンダといい、訳すと菩提道場と申します。即ち釈迦成道の場ということであります。
それがお釈迦様が人々に説法をする場所、又弟子達が釈迦の教えを受けて修行する場所を道場というようになりました。仏道をきわめ仏法を実践する為の修行をする場所を道場というと、広く考えて学問や武術を究めるために修行する所が道場と称されるようになりました。いずれにしてもそこで修行する以上はその道場はきちんと整えられていることが大切であります。しっかりした道場で心をこめて修行すればそれだけの効果は期待出来ると思います。
しかしお釈迦様の道場は特別に求めたり、作られたものではなく、歩々是道場とか直心是道場という言葉がありますように私達が日々生活するところ、又は仕事をするところがそのまま道場であると申せますし、何よりもよく整えられた自分の心の中にこそ道場があるということであります。
自分がだめなのはいい道場に行かなかったからだとか、いい学校に行かなかったからなどという人がおりますが、大変な思い違いと申せます。それほどではない学校であっても若くは学校に行かなくても自分の心がけ次第でいくらでも勉強が出来て立派な人生を送ることが出来ると申せます。
大本山護国寺貫首 岡本永司


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「縁・縁なき衆生」




 

私達はよく「これも何かの縁でしょう」とか「不思議なご縁で」とか日常の挨拶などで使います。又、縁談や縁故関係とかくされ縁等もよく聞きます。

この「縁」という言葉は仏教の一番基本になる大切な言葉であり、仏教思想を一言で表現したものと申しても過言ではありません。即ち「この世界にある物事、現象のすべてがさまざまなめぐり合せによって出来ており、又そのようになっているのである」ということであります。

つまり事柄現象がそうなるのにはすべてそうなる原因があったがためであり、その原因を助成する条件のはたらきを縁と申しており、その縁の作用によって凡ての事物、現象はめぐり展開して行くのであるということであります。

例えば春に蒔かれる種は太陽や大地、水そして人の手入れなどが縁として加わり秋の実りとなるという結果があるのであります。これを原因と結果で因果と申します。
人と人との出会いの場合でも不思議な縁の働きによって出会い、友人になったり夫婦になったりいたします。

「縁は異なもの味なもの」とか合縁機縁などと申します。又、「縁なき衆生は度し難し」などと言葉がありますが、これはお釈迦様がインドで仏法を説かれておりましたが、その広いインドの事、ましてテレビも新聞も無い時代ですからいくらお釈迦様が立派な方で各地をまわって説法をされても、お釈迦様に出会うことの出来た人達はごくわずかな人達でありました。
従って人にいくら仏性という種があっても仏法を聞くという縁がなければおさとりの結果は得られないと申しておるのであります。

私達は今幸いに様々な経典や書物や講演説法などで仏法に逢う機会にめぐまれております。心して縁なき衆生にならぬよう心がけて参りたいものであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司 


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「荘 厳」(そうごん)



「荘厳」
 
 

仏前荘厳とか内陣荘厳とかいわれますように、仏様をお祀りするために儀軌(仏の祀り方を記した経典)に従って、仏具・灯明・供花・供物を配置することであります。

荘厳とは辞典には「重々しく威厳があって立派なこと」「みごとで厳かなこと」と記されておりますが、仏具等々で唯外側だけを美しく飾ることではなく、道場を美しく整え飾って、心をこめて拝む事でなくてはなりません。
私達が仏様や先祖を拝むのは、拝む事によって私達自身が仏となり、あるいは先祖が仏になるようにと願って拝むのであります。

仏になるということは、生きている私達にとっては「人格の完成」をめざすことであり、故人にとっては「生命の完成」を意味しております。

では何故仏様をお祀りするのに仏前を厳かに美しく飾るのかと申せば、美しく厳かな「仏・菩薩の生命」即ち仏様の美しい心・大きな働きを私達に具象化し、形として現わすためであります。「三界は唯心の所現」(この世の中の現象は自分の心のあらわれである)といわれるように、私達の日々の生き方は、自分の内側(精神)の反映(現れ)に外ならないといわれております。

仏前の荘厳を通じて、私達はまず我が心を荘厳し、仏(人格の完成)を目指してつとめることによって、大安心(本当の安らぎ)を得られるのであると存じます。
大本山護国寺貫首 岡本永司

明日は文化財防火デー


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