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御前様こと大本山護国寺第五十三世貫首 岡本永司大僧正台下を慕う有志が、御前様の許可を得て作成しているブログです。

「観 念」

平成23年8月7日(日)

「観 念」
観念というと「もういいかげん観念しろ」などと使われています。辞典によると対象をとらえた心の働きとかあきらめなどと出ておりますが、本当は仏教語で気をしずめ心を集中して諸法の真理を考えたり仏の姿を想念することであります。一般的には「時間の観念がない」とか「あの論議は観念的だ」などとあまりいい使われ方をしておらないのは残念なことであります。つまり空想的なとりとめのない気持や心の有様のようになってしまっております。現実の伴わない頭の中だけの論議ということです。私たちは仏菩薩のお姿や絵図に絵がかれた尊容は日々拝見し礼拝しておりますが、実際の諸尊のお働きは目に見ることはできません。阿弥陀仏の極楽浄土にしても大日如来の密厳浄土もそうしたお浄土を心をしずめて観じそれを念ずるしかありません。仏さまの真のお姿や働きは心の世界でしかありません。しかし一生懸命観じ念ずること即ち観念することをつづけていくことで実際に仏のお浄土に至ることであります。又、私たちの住むこの娑婆(現実)世界に於ても考えてみると人々が様々な観念を持って行く内に例えば空を飛びたいという観念が実って今日の飛行機が出現に至ったように、観念が具象化され現実のものとなったと申せます。私たちは観の持つ本当の意味を観念して参りたいと念じております。

大本山護国寺貫首 岡本永司
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「命(いのち)五命」

平成23年7月31日(日)

「命(いのち)五命」

命(いのち)は命令の命と書きます。令は人の集っている場所の下に王様が号令をかける時に用いる玉座がある形を表しており、布告とか法令をいっております。それが「口」がついて命となり、号令をかけるとか命令するという本来の意味になります。それが何故私達の「いのち」を表す文字になったのでしょうか。中国の文献によると私達のいのちに五つの条件があるとしております。即ち「五命」(ごみょう)という考えで五つの命令を受けて私達のいのちがあるので命(めい)を「いのち」という意味につかっているのであります。その基本になるものは先ず何か不思議な大自然の力を「天」といい、その天の命即ち「天命」によって私達は此の世に生れて来たのだとしております。それによって人間として生きるのだぞと命じられておるのでこれを「生命」と申しております。そして中国ではいのちは寿で表しその長さも命令されていると考えてこれを「寿命」と申しております。また私達がそれぞれの人生を歩む上で好き勝手に思うがままに歩みたいけれどもある程度はその歩み方も命令されていると考えこれを「運命」としております。私達は生れようと思って此の世に生れて来たのではなく天の命令を受けて生れて来た以上、その天の命を正しく使いなさいという命令を受けておりこれを「使命」といいます。此の世に生を受けたからには意味のない人生は一人もいない。それに気付くか否かが他の動物と違うことであると言っております。
大本山護国寺貫首 岡本永司 

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「五色光印・五色放光印」

平成23年7月24日(日)

「五色光印・五色放光印」

 

右手の五本の指を立て外へ向ける型を真言宗では五色光印と申し立派な印契であり、光明真言を誦する時に結ぶ印であります。そしてこの五本の指それぞれ五つの色と五種類の修法の種別が決められております。
即ち指の五大を表す時は小指から順に地・水・火・空・風であり配色は小指から黄・白・赤・黒・青の順となっております。
これを修法の種別に配しますと小指から順に増益・息災・敬愛・調伏・鉤召の五種になります。何故小指が黄色で増益法(ご利益を増す法)であるかというと大地は万物を生み育て多くのいのちのみなもとであるということ。そして黄色は米や麦や果実のみのりの色であり、増益法となります。
次に薬指ですがこれが白色で息災法となるのは、水は凡てのいのちのみなもとであり、自性清浄を意味する無色透明であることを白にたとえております。
中指は赤色で敬愛法をあらわしますが、敬愛とは異性間の愛情好悪、情熱を意味する灼熱の赤色であります。
次に人差し指が調伏法(難調の者を正しく導く法)で黒色かというと暴風強風が物を破壊する威力にたとえ、その威力は黒色が凡てを消すように凄まじいものであることを表しております。
そして最後に空にあたる親指は青色であり、鉤召法であります。鉤召法はとにかく自分に背きそっぽを向いている人を自分の方に引き寄せることと俗解されておりますが、本来は地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちて苦しむ衆生を法の力によって楽の世界即ち天に引き上げることです。天とは空であり青色であるということであります。
以上のように五色光印(五色放光印)は私達の様々な願いとその成就を光明真言を誦する時に用いることによって菩薩の御加護を頂かんとする大切な法印であります。

大本山護国寺貫首 岡本永司

光明真言 読誦の功徳

平成23年7月17日(日)

  光明真言 読誦の功徳

 

オン       帰命、帰依、供養の意でその真言を唱ふる時は、一切の諸佛に供物を捧げることになる。

 

アボキャ     現世の願望が成就し未来の成佛も達成されるの義。北方成所作智不空成就佛の光明で釈迦如来。

 

ベイロシャノウ  中央本地法界体性智で真理の本体大日如来。

 

マカボダラ    東方大円鏡智阿閦如来にして薬師如来と同体なり。

即ちこの真言を唱えるものは、諸病を治すの義。

 

マニ      この真言は如意宝珠の義で、いわゆる宝珠より一切の宝を雨ふらして世間、出世間の願望を成就せしむる義で南方平等性智宝生如来なり。

 

ハンドマ     西方妙観察智阿弥陀如来にしてこの真言を唱える人は極楽往生するはこの句あるがゆえなり。

 

ジンバラ     光明の義で一切の諸佛菩薩諸天諸印の光明がこの句に含まれている。

 

ハラバリタヤ   転易の意で五智如来の光明に照らされて災い転じて福となり、悪業転じて善業、短命転じて長命ならしむ不思議な力を含んでいる。

 

ウン       成就の義にしてこの光明真言の功徳によって諸願が成就すること疑いないものである。

 
大本山護国寺貫首 岡本永司

盂蘭盆会

平成23年7月13日(水)

表ボンはありません…


http://www.youtube.com/watch?v=XPDka8XwWUU

四万六千日




http://www.youtube.com/watch?v=A0nfjGDTbLs

音羽富士講 山開き

平成23年7月3日(日)

護国寺境内にある音羽富士の山開きをしました。

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「自 然 体」

平成23年7月3日(日)

「自 然 体」

http://www.youtube.com/watch?v=tn43i-yAU-o 

 

スポーツの選手や碁将棋の棋士などが大事な試合に際して自然体で臨むとか、自然体で行きますなどと使います。
自然とは辞典などにはありのままの状態。天性、本性等々出ております。
柔道の構えの一つに、体のどこにも力を入れずに、ごく自然に立っている状態などを申しております。では本来の自然体とは如何なることをいっておるのでしょうか。禅の書に「至道は無難なり、唯
棟択を嫌う云々」とあり、つまり「さとりへの大道に進むのは難しいことではない、唯えりごのみをしないことだ、自分の感情で相手を見さえしなければ、みな自然であたりまえのことなのだ」という意味の言葉であります。
力みかえって自分の好き嫌い、是非善悪の心を表に出して物事を判断すると、世の中がせまく、暗いものになってしまい本物が見えなくなってしまいます。自分の物差、自分の迷い辺見を払拭してそのままの相手を見ることが出来れば、自分本来の力を発揮することが出来るということで、自然体とは自己心を自然にあるがままの自分にすることであります。
浄土宗を開かれた法然上人は、このあるがままの自分を大切に考えられ、お名を法爾自然の語からとったといわれております。
小さな人間のはからいは、大きな仏のはからいをさまたげます。
自分の主張、判断にとられて自己主張するあまり、全体が見えず様々なトラブルになることはよく見られることであります。
大いなる仏様の物差を想いそこに自分をあずけた時、自分の救いとなり本来の力が自然に出て、事が成就することにつながるのであると思います。

大本山護国寺貫首 岡本永司

 

「義理・人情」

平成23年6月26日(日)

「義理・人情」

 
http://www.youtube.com/watch?v=qEfu7RQML98

 

この頃は義理も人情もない時代といわれております。義理がすたれ、人情がうすくなれば世の中は渡りづらくなりますし、また義理・人情の板ばさみになってもまた苦しいものであります。
この義理ですが、本来は物事の道理、正しい筋道をいう言葉で、経典はしたがってこの義理を説いたものであると言えます。義理は人の踏み従うべき道といえますが、それが様々な人間関係で人が他人に行わねばならないことを指すようになり、更にいやでもしなければならないことを「お義理」というようにさえなりました。
一方人情は本来人間的な心の迷いをいっており、世間的なものに囚われる人間的な思慮分別の迷いを言ったものであります。それが「人間味、人間らしい」と意味が変わり、いつか人情はよい意味に用いられるようになりました。人情味のある人は良い人、人情に厚い土地は住みよいところと受取られるようになりました。
このように言葉は生きものですから、いつか正反対の意味になったりすることが多いようです。いずれにしても私達は義理を見極め、人情のいかなるものかを知って迷いの生活を送ることのないようにしたいものであります。
夏目漱石は草枕の中で、「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい」といっておりますが、智情意も、義理人情もほどよくあるのが最もよいといえます。まずは自分の心を調整して、ほどよいものとするよう管理していくことが大切なようであります。

 

大本山護国寺貫首 岡本永司

「もったいない」

平成23年6月12日(日)

もったいない

http://www.youtube.com/watch?v=SmiS_bQixzw


もったい(勿体・物体)

  物の本体の意

  重々しいさま

③尊大なさま

もったいぶるーことさらに重々しい態度をとる

 

もったいない(勿体無い)

  物の本体を失すること

  神仏貴人に対して不届なこと

  過分のことで畏れ多い

  かたじけない、ありがたい

⑤物の値打ちが生かされず無駄になって惜しいこと

 

本来は仏教語で凡ての物が現在ある形は無数無量の因縁によって形づくられているのであって、唯単に偶然出来上がったものでは無いことを考えて、そのいのち、その働きを充分に生かすことが大切なことであるということであるということである。(引き寄せて結べは柴のいおりなり、解くれば元の野原なりけり)

 

大本山護国寺貫首 岡本永司

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