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御前様こと大本山護国寺第五十三世貫首 岡本永司大僧正台下を慕う有志が、御前様の許可を得て作成しているブログです。

2011年06月

「義理・人情」

平成23年6月26日(日)

「義理・人情」

 
http://www.youtube.com/watch?v=qEfu7RQML98

 

この頃は義理も人情もない時代といわれております。義理がすたれ、人情がうすくなれば世の中は渡りづらくなりますし、また義理・人情の板ばさみになってもまた苦しいものであります。
この義理ですが、本来は物事の道理、正しい筋道をいう言葉で、経典はしたがってこの義理を説いたものであると言えます。義理は人の踏み従うべき道といえますが、それが様々な人間関係で人が他人に行わねばならないことを指すようになり、更にいやでもしなければならないことを「お義理」というようにさえなりました。
一方人情は本来人間的な心の迷いをいっており、世間的なものに囚われる人間的な思慮分別の迷いを言ったものであります。それが「人間味、人間らしい」と意味が変わり、いつか人情はよい意味に用いられるようになりました。人情味のある人は良い人、人情に厚い土地は住みよいところと受取られるようになりました。
このように言葉は生きものですから、いつか正反対の意味になったりすることが多いようです。いずれにしても私達は義理を見極め、人情のいかなるものかを知って迷いの生活を送ることのないようにしたいものであります。
夏目漱石は草枕の中で、「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい」といっておりますが、智情意も、義理人情もほどよくあるのが最もよいといえます。まずは自分の心を調整して、ほどよいものとするよう管理していくことが大切なようであります。

 

大本山護国寺貫首 岡本永司

「もったいない」

平成23年6月12日(日)

もったいない

http://www.youtube.com/watch?v=SmiS_bQixzw


もったい(勿体・物体)

  物の本体の意

  重々しいさま

③尊大なさま

もったいぶるーことさらに重々しい態度をとる

 

もったいない(勿体無い)

  物の本体を失すること

  神仏貴人に対して不届なこと

  過分のことで畏れ多い

  かたじけない、ありがたい

⑤物の値打ちが生かされず無駄になって惜しいこと

 

本来は仏教語で凡ての物が現在ある形は無数無量の因縁によって形づくられているのであって、唯単に偶然出来上がったものでは無いことを考えて、そのいのち、その働きを充分に生かすことが大切なことであるということであるということである。(引き寄せて結べは柴のいおりなり、解くれば元の野原なりけり)

 

大本山護国寺貫首 岡本永司

「ご馳走さま」

平成23年6月5日(日)



 

「ご馳走さま」というと、今では食事のときの言葉のように思われますが、本来はどうしてそのようになったか不思議です。馳走とは文字通り車馬をはやく走らせるとか、年月は馬が早く走るように過ぎ去って行くというような意味であり、古文書などでは一般にそのように使われて来ております。それが食事を出したり人をもてなすように使われたのは我国だけのようであります。もちろん食事を用意する為にはあちこちから材料(食材)を集めたり、煮炊の用意をし料理するためにかけまわることから食事などのもてなしをするように使われるようになったと考えられます。その裏には日本人の物に対する豊かな感性がうかがわれます。僧侶が修行中食事の折に五観の偈という句を読んで食事をいただきます。その第一に「功の多少を計り彼の来処を量る」という句があります。この句は「多くのおかげを思い、感謝してこの食事をいただきます。」ということでこの心が即ち「ご馳走さま」の心であります。ご馳走さまばかりではなく、お世話さま、御苦労さまなど、私達は日常挨拶などで使いますが、その多くが相手の立場に立ってその労をねぎらい、感謝する言葉であり、日本語の一番美しいことばといわれる「ありがとう」と同じように美しい言葉と申せます。自分が周囲の人々からばかりでなく自然界すべてのものの力によって支えられて生きていることに感謝せずにはおられない、深い智慧をこの言葉は豊かに表しておるものであります。

大本山護国寺貫首 岡本永司

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