わが心は十界にある
弘法大師は「唐招提寺の達嚫の文」の中で「六大の所遍皆是れわが身なり、十界の所有竝に是れわが心なり」と記されております。これは「私たちの体は六大より構成されており、私たちの心には十界がある」という句です。
即ち私たちの体は地・水・火・空・風の五大(要素)と心(意識)を加えて六つの要素からなり、十界とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道と仏の世界である声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖であります。私たちの心の変化はこの十種類にわたっていると申しておられるのであります。
西洋のジキルとハイドではありませんが、人間の心は常にコロコロと移り変わって、神や仏のような心の時もあり、阿修羅のように鬼のような心の時もあり、餓鬼畜生にもまさるおそろしい心に住する時もあると申せます。慈悲心をもって養っていた里子をいじめ殺してしまった事件が最近報じられたり、我が子を自分の快楽のために飢死させてしまう親もおります。なんともやりきれない思いでいっぱいであります。
京都大学の類人猿研究所の所長をされていた河合雅雄先生はオラウータンは人間よりすばらしいところがあると次のように言っておられます。「人間は自分と気の合った人がくると食物を分けて与えますが気の合わない人が来るとかくしてしまいます。オラウータンは仲のよい仲間がくると食べているバナナを半分あげる。気の合わない仲間がくるとバナナを少しあげる。嫌な奴が来るとバナナの皮を半分あげる。しかし何もあげないことはない」これ等から考えますと人間はオラウータンよりも劣るということになってしまいます。
大本山護国寺貫首 岡本永司