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御前様こと大本山護国寺第五十三世貫首 岡本永司大僧正台下を慕う有志が、御前様の許可を得て作成しているブログです。

2011年10月

如意輪さまはよろこんでいらっしゃいます!

2007年の懐かしい映像をお楽しみ下さい。

「無邪気・可愛い」


無邪気・可愛い

 「子供は無邪気でかわいい」などと無邪気の代表が幼い子供や赤ちゃんを表すように使われております。邪気とは煩悩による心のよごれを申しますので無邪気とはそうした貪瞋痴の三毒煩悩にけがされていない「きれいな心のまま」ということになります。特に赤ちゃんはいずれも無邪気そのものと言えます。

 つづいて「かわいい」とは漢字では可愛となり、文字通り愛すべきものを指しており、そこから子供ばかりでなく女性の容姿の美しいことを指すようにもなりました。この可愛を語幹として「可愛がる」という動詞が生れました。
 また可愛がるの反対語は「いじめる」ですが、時によってはそれが「可愛がってやる」などと使われることもあります。

 さて赤ちゃんは無邪気で可愛いものといわれますが、それが大人になると何故無邪気でなくなるのでしょうか。一般に弱いもの、幼いものは生きのびるために可愛がられるようになっておりますが、それが成長し生命力が盛んになって来ると無邪気でなくなるのでしょうか。
 しかしそれでは正に可愛そうと申すしかありません。成長し、生命力がつこうが心がすなおでよごれていなければ可愛い存在であると申せます。

 「みどり子の次第次第に智慧づきて仏に遠くなるぞ悲しき」という古歌があります。大人になっても煩悩まで成長させないように気をつけて参りたいものであります。
 その人に出会うとほほえんでしまうような。そしてその人が来ると心なごむような人もたくさんいらっしゃいます。伝教大師は「一隅を照らす者これ国の宝なり」と申されております。凡てを心得てなお邪気を抑えるような努力をつづけて可愛がられるような日々を送りたいものであります。
 大本山護国寺貫首 岡本永司

「現世安穏・後世善処」



現世安穏・後世善処
 

 安穏と共に使われる言葉に善処があります。「現世安穏 後世善処」という句はよく知られている句ですが、これは妙法蓮華経の中の「諸々の衆生この法を聞き終って現世には安穏にして、後には善処に生ず」より出ております。
 現世とは勿論私達の住むこの世即ち娑婆世界のことで、善処とは善い行をつむことによって行くことの出来る善い処即ち仏国土、浄土のことであります。
 此のお経の教えを聞けば此の世では安穏な日々が送れ、死後は極楽浄土に行くことが出来るということになります。よく「あの世なんか信じられない、あるはずがない」などという人がおります。現代の科学思想や様々な知識を得た人にとってかかる考えになるのも無理のないことと思います。しかし本当に「あの世なんか無く、死んでしまえばおしまい」ということになると、今の自分はどうなるかという切なくうちひしがれた、荒れた心になってしまいます。私達は心の奥底にあの世を信じ先に逝った人々の冥福を祈り、自分もまたあの世に行くことを思って生きておるのであります。
 今日が終ればあの世に行くのであると自覚すれば、いたずらに死をおそれたり、切羽つまった気持ちで過す必要はありません。考えてみますと私達の一生は永遠のいのちの流れの中のほんのわずかな瞬間であると思います。そのような心の余裕をもって過して参りたいものであります。唯あの世に持込むのはこの世の善悪の業のみであることを心得て出来るならば善業を積み重ねて、そのご縁で後世善処に行けるように生きることが現世安穏への道であるといえます。
 大本山護国寺貫首 岡本永司

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