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御前様こと大本山護国寺第五十三世貫首 岡本永司大僧正台下を慕う有志が、御前様の許可を得て作成しているブログです。

2012年04月

仏教日常語


 

道 楽

 仏道修行によって得られたさとりのたのしみをいいます。阿育王経巻八に「今己得道楽」とあり、又法華経にも「道を以て楽を受け」とあるように法悦の境界をいうのである。現在の日常語で使われている意味とは大変かけはなれてしまっております。「道楽息子」 「食道楽」 「道楽者」

 

娯 楽

本来は増一阿含経に「迷あり、娯楽を以て断ずることを得」とあるように本来は精神的な安らかさと楽しさを覚えることでありました。それが次第に音楽、歌舞、演劇を自ら演じたり見たり聞いたりする楽しみに変わってきました。原始仏教教団ではこれ等は一切許されなかったが大乗仏教に至り大衆に普及する為に仏塔礼拝の折など音楽歌舞が行われました。

 

安 楽

仏の世界の楽しさ心安らかで苦学の無いことをいうが、本来は阿弥陀如来の在す極楽の別名で経に「其の佛の世界を明けて安楽と云ふ」とあり安穏快楽なるさとりの世界をいいます。
 
大本山護国寺貫首 岡本永司

「秘 密」


内証話しとか秘密の話しとか私達は普通に使っており、内容は同じように考えられております。しかしいずれも違う意味を現す大切な仏教語であります。

内証とは自分の心の内のたしかなさとりのことであり、秘密とは我々凡人には理解出来ない程深遠な教えのことであり、又仏教がわざと明にせず、隠された意味を持って私達衆生を導き、教えを説かれることを申します。

弘法大師は真言密教の教学を深く研究され、この秘密を二種類に分類されました。一つは衆生秘密で他は如来秘密であります。衆生秘密とは私達は本来仏心(仏性)を持っているけれども煩悩に犯され妄想がさかんであってその雲に覆われており大切な仏心が隠されてしまっている状態であることをさしております。この仏心が表面に現れることが弘法大師が説かれる即身成仏であります。

如来秘密とは仏様が私達を導き、教えをほどこされるに際して、私達の機根(能力)理解力がまだ充分ではないとして秘密にしておられることであります。例えば中学校では三から四は引けるとしてマイナスの数学を教えますが、小学校では三から四は引けないと教えます。これは先生が生徒の理解力を計っておるのであり、決して意地悪で秘密にしているのではありません。

この様に仏様はいろいろな手段(方便)を考えて私達を導かれるので時として相手に他の人と逆のことを説いたり敢て教えなかったりされます。この様に仏の秘密は程度の高いものでありますが、我々人間の考える秘密は企業秘密とか軍事秘密とか自己自国の利益優先の秘密ばかりであり、如来秘密は衆生を正しく救うために説いたり説かなかったりする高度なものであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司

象供養

天上天下唯我独尊



(てんじょうてんがゆいがどくそん・てんじょうてんげゆいがどくそん)
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