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御前様こと大本山護国寺第五十三世貫首 岡本永司大僧正台下を慕う有志が、御前様の許可を得て作成しているブログです。

2012年10月

初心


 私たちはよく「初心にかえって」とか、「初心忘れるべからず」とか、自動車免許とりたての人は、初心者マークをつけて車の運転をしております。この初心というのは、未だ習い始めて不なれであり、未熟であるということと、物事を始めた時の純粋で、謙虚な気持、というように、二通りに使われたり、考えられたりしております。しかしこの二通りは、実は一つのことで、私たちが直面する凡てのことにあてはまることであります。そして初心とは、大切な仏教語でもあります。

即ち初発心(しょほっしん)のことで、発心(ほっしん)とは発菩提心(ほつぼだいしん)の略であります。
仏の教えを習い、実践して行こうと、初めて発した心ということであります。従って入りたてで、まことに未熟であるが、純粋で一生懸命に仏道を志す心が、初心の本来の意味になります。
この初心が一般に使われるようになったのは仏教に源を持つ能楽を大成された世阿弥がその能楽論書「花鏡」の中で「是非の初心忘るべからず時々の初心忘るべからず老後の初心忘るべからず」の句を残され、そこから初心の句が使われるようになったようであります。
世阿弥は、能を習いはじめた時の芸に対する心を忘れてはならぬと戒めたのですが、そこから何事に於ても最初の心持、真剣さ、そして目的を忘れてはならぬということになりました。私たちはややもすると初めの内は真剣に心をつくしますが、しばらくすると油断しがちであります。即ち初心忘れがちになり失敗することになりがちです。私たち仏教徒は、本来の初心の意味をしっかりと受止め菩提の心をおこし、仏道を歩んで参りたいと念じております。
大本山護国寺貫首 岡本永司

「心 の 転 倒 予 防」


 倒・顚 (さかさにする、ころぶ、狼狽)

心の転倒の原因を仏教では罣礙(心を覆うもの、さまたげ、邪魔)と申しております。

 

 (悪い心の働き、妄想、心身をわずらい悩ます精神作用)

   

    (限りなきむさぼり、とらわれ、強い欲望)

    (はげしい怒り、強いねたみ、うらみ心)

    (おろかな心、妄念、正しい判断が出来ない心)

これ等が私達の心を汚し、時には心身を亡す毒素であると説かれております。

此の煩悩により心が転倒する四ヶ条を示して常楽我浄の四顚倒をあげております。

一、        いつまでもいつまでもと願う心、いつまでもつづくと願う心。

二、       楽しい人生でありたい、苦しみや不都合をいやがる心。

三、       常に自分中心で考え行動し、我を通さんとする心。

四、       自分は善であり、正しいとし非難されることはないと思う心。

これ等は考えてみると私達の理想とするところであり、その実現に向って絶えず頑張っているのが私達人間の日常の姿であると申せます。しかしこれ等は到底満すことの出来ないことであり、正に道理に反する心のつまずきの原因となっていて、三毒煩悩や四顚倒の心の働きに振り廻され様々な苦悩が生じて来ると仏典には説かれております。仏教経典はこの私達のわがままな心の転倒を防ぐ方法を一生懸命説いていると申しても過言ではありません。その一つとして少欲知足の生き方を示しております。遺教経に「少欲を行ずるものは心即ち坦然として憂畏なし」「若し諸々の苦悩を脱せんと欲せば常に知足を行すべし」とのべ限りない欲望にブレーキをかけ制御することで心の顚倒を防ぐ手立てとせよと説いております。

大本山護国寺貫首 岡本永司

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