平成23年5月15日(日)

「我慢・頑張る」


http://www.youtube.com/watch?v=lLED3-yp2Xw

 言葉は生きていると申しますが、仏教語は特に長く使われている内に本来とはまるっきり逆の意味に転じて使われる場合が多々あります。貴様や無学、無分別などが一般的に悪い意味になってしまいました。

これとは逆に良い意味に使われるようになった言葉に我慢、頑張るがあります。「ここは我慢のしどころだ」などと言っている内に、いつの間にか我慢とは耐えること、こらえること即ち辛抱や忍耐と同義語のように使われるようになってしまいました。しかし、我慢とは本来はあってはならないことで、人間の迷いのもとである貪瞋痴慢の四大煩悩の一つなのであります。

慢はマーナの音写語で思いあがりのことです。この慢は分類すると慢、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、卑慢、邪慢の七慢になり、その内四番目の我慢とは自己の中心に我があると考え、その我を頼んで他をさげすむ心のことであります。そしてこの我が強ければ我を張って自分の説や生き方を押し通すことになります。

即ち頑強にして屈しないところから頑張るという言葉が出来たようであり我慢強くて頑張る人とはもともとは、他の人の言葉や行いに耳を貸さない救いようのない人のことでありました。ところが今日では大変立派な人のように使われてしまっております。本来は我慢という思いあがりを抑え頑張ることは、我を張らずに本物を見極めるよう努力することでなくてはならぬことです。

私達の心の中には常にこの思い上がりの慢があります。言葉本来の意味をしっかりと確かめて参りたいものであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司