平成23年5月29日(日)


堪忍と勘弁

 

諺に「ならぬ堪忍するが堪忍」とか「どうか堪忍して下さい」「いや勘弁ならねぇ」などと喧嘩言葉のように使われています。
現在では堪忍と勘弁は同意義のように使われ、いずれも「他人の過を許す」のように使われています。しかしこれ等は結果的にそうなっただけのことで本来は全く違う意味を持っております。

堪忍の堪は耐えるということで忍は御承知の通りしのぶであり、即ち耐えしのぶことで苦難を堪え忍ぶということになります。そして梵語の娑婆(苦しみ多い世界)世界を堪忍世界とも申して参ります。私たちの住むこの現世はお釈迦様のいわれるように本当に堪え忍ばねばならぬ困難、苦難に満ちております。そこでどんなつらい悲しい思いをしてもそれに堪えて堪忍袋の緒を切らぬように精進して行くことによってはじめて修行が成就し、安楽世界に生ずることが出来るのです。正に「堪難汝を玉にす」の通りであります。

次に勘弁は、そうした修行が出来たか否かをみるのに昔中国の禅宗では、師匠が弟子や修行者とテストする風習がありました。そこで勘はつきあわせて調べること、弁はわきまえて区別することの意味で、その修行者に「よし合格」との印可、許可を与えることであります。
一般的に相手に堪忍を乞うのは、しのんでくれと頼むことであり、相手を勘弁するのはこれだけ謝っているのだからゆるしてやろうということになります。

人間は悪鬼羅刹ではありません。法句経に「恨みは恨みによって報ゆるものではなく、ただ恨みを忘れることによってのみ恨みをなくすことが出来る」といわれておるように堪え忍ぶと共に相手をゆるす広く大きな心を持って参りたいものであります。

大本山護国寺貫首 岡本永司