平成23年7月3日(日)

「自 然 体」

http://www.youtube.com/watch?v=tn43i-yAU-o 

 

スポーツの選手や碁将棋の棋士などが大事な試合に際して自然体で臨むとか、自然体で行きますなどと使います。
自然とは辞典などにはありのままの状態。天性、本性等々出ております。
柔道の構えの一つに、体のどこにも力を入れずに、ごく自然に立っている状態などを申しております。では本来の自然体とは如何なることをいっておるのでしょうか。禅の書に「至道は無難なり、唯
棟択を嫌う云々」とあり、つまり「さとりへの大道に進むのは難しいことではない、唯えりごのみをしないことだ、自分の感情で相手を見さえしなければ、みな自然であたりまえのことなのだ」という意味の言葉であります。
力みかえって自分の好き嫌い、是非善悪の心を表に出して物事を判断すると、世の中がせまく、暗いものになってしまい本物が見えなくなってしまいます。自分の物差、自分の迷い辺見を払拭してそのままの相手を見ることが出来れば、自分本来の力を発揮することが出来るということで、自然体とは自己心を自然にあるがままの自分にすることであります。
浄土宗を開かれた法然上人は、このあるがままの自分を大切に考えられ、お名を法爾自然の語からとったといわれております。
小さな人間のはからいは、大きな仏のはからいをさまたげます。
自分の主張、判断にとられて自己主張するあまり、全体が見えず様々なトラブルになることはよく見られることであります。
大いなる仏様の物差を想いそこに自分をあずけた時、自分の救いとなり本来の力が自然に出て、事が成就することにつながるのであると思います。

大本山護国寺貫首 岡本永司