平成23年8月7日(日)

「観 念」
観念というと「もういいかげん観念しろ」などと使われています。辞典によると対象をとらえた心の働きとかあきらめなどと出ておりますが、本当は仏教語で気をしずめ心を集中して諸法の真理を考えたり仏の姿を想念することであります。一般的には「時間の観念がない」とか「あの論議は観念的だ」などとあまりいい使われ方をしておらないのは残念なことであります。つまり空想的なとりとめのない気持や心の有様のようになってしまっております。現実の伴わない頭の中だけの論議ということです。私たちは仏菩薩のお姿や絵図に絵がかれた尊容は日々拝見し礼拝しておりますが、実際の諸尊のお働きは目に見ることはできません。阿弥陀仏の極楽浄土にしても大日如来の密厳浄土もそうしたお浄土を心をしずめて観じそれを念ずるしかありません。仏さまの真のお姿や働きは心の世界でしかありません。しかし一生懸命観じ念ずること即ち観念することをつづけていくことで実際に仏のお浄土に至ることであります。又、私たちの住むこの娑婆(現実)世界に於ても考えてみると人々が様々な観念を持って行く内に例えば空を飛びたいという観念が実って今日の飛行機が出現に至ったように、観念が具象化され現実のものとなったと申せます。私たちは観の持つ本当の意味を観念して参りたいと念じております。

大本山護国寺貫首 岡本永司
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