平成23年9月4日(日)


「鬼・鬼手仏心」
鬼というと人の形をし角をはやし、地獄に堕ちた人たちを散々にいじめ抜き、いためつける赤鬼、青鬼の姿が地獄図などに絵がかれております。慈悲心のかけらもなく、怪力にして残虐非道で常に他人を苦しめるものの喩えに使われるようになりました。

これは印度ではマーラ(魔)中国では鬼、日本では隠などという考えが合さって使われるようになったようです。鬼の呼名種類としては、鬼の外に鬼神、邪鬼、餓鬼、鬼子、夜叉等があります。
鬼は想像上の者でありますが、鬼のような行いや、心情は私たち人間の所行の内に数々見られることは御承知の通りであります。

鬼の反対は仏であります。病院の特に外科医の先生方の行いをよく鬼手仏心と申します。つまり患者の体を思い切ってメスを入れ切り開き患部を取り除く行為は正に鬼のような行為であります。そうした思いきったおそろしいことは患者の命をどんなことをしても救い、苦痛をやわらげようとする医師としての使命感、大慈悲をもってなさることで仏心そのものであるということになります。

昭憲皇太后に歌の道をもってお仕えした
税所敦子という方の姑さんは大変意地の悪い人で嫁の才能や評判をねたみ嫁いびりをしておりました。
ある日私が下の句を読むから上の句をつけてくれといって「鬼婆なりの人は言うなり」を示して嫁いびりをしました。敦子さんは少しもおどろかず筆をとると「仏にもまさる心と知らずして」と詠み姑の意地悪さ見事にかわしました。それからは姑さんは仏のような慈悲深い人になったそうです。
私たちは自分の心の角をとり、鬼心をおこさぬよう日々を反省して参りたいものであります。

大本山護国寺貫首 岡本永司