「面目 真面目」

「面目」とは辞書を引くと世間に対するていさい。人に合わせる顔などと出ております。私たちは普段「面目を施す」「面目丸潰れ」「面目ない」などという言葉を耳にします。

又漢音で「ボク」と読み呉音で「モク」と読み「真面目」などと使っております。この面目とは大切な仏教語で、面とはおもてとか、つらというように私たちの顔のことであります。

顔即ち面には、目、耳、鼻、口等大切な人間の感覚器官が集まっておることはご承知の通りであります。さらに目はその顔の中心にあって身心の窓口となっているところで、目を見ればその人の心や体の具合、状態が推測出来るといわれ「目は口ほどにものを言い」とあるように、何を考えているか見当がつきます。

面目とはこの面と目を重ねたもので、私たちにとって一番大切なもの、つまり本性を指す語、で自分が本来持っている仏性のことであります。これは大宇宙の生命の一つとして生きる私たちの真のありかたを指しております。

この面目を正に真面目にいきることの重要なことを申しております。この真面目は辞書では本来の姿とか、真価、まじめと出ております。
まじめとはこの真の面目にそって生きることでなくてはなりません。私たちは、自分の人生をふざけたりなまけたりしないで、まじめに過ごして参りたいものであります。

大本山護国寺貫首 岡本永司