無邪気・可愛い

 「子供は無邪気でかわいい」などと無邪気の代表が幼い子供や赤ちゃんを表すように使われております。邪気とは煩悩による心のよごれを申しますので無邪気とはそうした貪瞋痴の三毒煩悩にけがされていない「きれいな心のまま」ということになります。特に赤ちゃんはいずれも無邪気そのものと言えます。

 つづいて「かわいい」とは漢字では可愛となり、文字通り愛すべきものを指しており、そこから子供ばかりでなく女性の容姿の美しいことを指すようにもなりました。この可愛を語幹として「可愛がる」という動詞が生れました。
 また可愛がるの反対語は「いじめる」ですが、時によってはそれが「可愛がってやる」などと使われることもあります。

 さて赤ちゃんは無邪気で可愛いものといわれますが、それが大人になると何故無邪気でなくなるのでしょうか。一般に弱いもの、幼いものは生きのびるために可愛がられるようになっておりますが、それが成長し生命力が盛んになって来ると無邪気でなくなるのでしょうか。
 しかしそれでは正に可愛そうと申すしかありません。成長し、生命力がつこうが心がすなおでよごれていなければ可愛い存在であると申せます。

 「みどり子の次第次第に智慧づきて仏に遠くなるぞ悲しき」という古歌があります。大人になっても煩悩まで成長させないように気をつけて参りたいものであります。
 その人に出会うとほほえんでしまうような。そしてその人が来ると心なごむような人もたくさんいらっしゃいます。伝教大師は「一隅を照らす者これ国の宝なり」と申されております。凡てを心得てなお邪気を抑えるような努力をつづけて可愛がられるような日々を送りたいものであります。
 大本山護国寺貫首 岡本永司