大乗仏教と小乗仏教

 仏教の大きな流れの中で大乗仏教と小乗仏教という二つの考え方があります。よく皆様が「この際大乗的見地に立って」とか「大乗の精神で」などと使われます。この二つの流れについてお話を申し上げます。


大乗とは字の如く大きな乗物ということで梵語マハナヤの訳語であります。お釈迦様がおさとりを開かれて仏教をお説きになった時、まず自分が修行を重ねてさとりを得ることを最も重要とされました。その為に修行の方法や、様々な戒律を設けてきびしく自己規制をされました。釈迦滅後も弟子達はその教えをかたく守って修行をつづけたのであります。つまり自分だけのさとりへの追究をして行こうという流れであり、これを小乗仏教(ヒナヤナ)と称するようになりました。

しかし時代を経るにつれて、自分だけのさとりにとらわれることなく、もっと大勢の人達がさとりを聞き安心を得べきであるとの考えが強くおきて参りました。これが大乗仏教の流れであります。例えば目的地に到着するのに自転車では一人しか来れません。バスや電車では一返に大勢の人が目的地に行けます。この考え方がヒマラヤを越えて中国、朝鮮、日本に伝来されました。これを北伝仏教と申します。一方お釈迦様の定められた規律をしっかりそのまま守って行く考えがビルマ、タイ、カンボジア等に伝わりこれを南伝仏教と申しております。

この大乗仏教は前述のようにたくさんの人々をさとりに導かんとする教えであり、しかも「己れ未だ渡らざる前に、一切衆生を渡さん」とする菩薩の行願を持つ教えであります。このことから自己の立場を捨て大局的にものを考えようとすることから大乗的見地というようになり、小さなことにこだわらず、大勢の人の安心を考えようとする行き方であり、自分のことで精一杯というのが小乗ということになります。

唯し大乗仏教がすぐれていて、小乗仏教は劣っているなどという考えは大変間違った考えであって自己の完成を第一に目指すことも、大勢の人々の安心を目指して精進することも共にお釈迦様の大切な教えであることには変りありません。
大本山護国寺貫首 岡本永司