水が温かいか冷たいかは自分が自らに飲んでみたり、手を入れたりすることによってはじめて感得することが出来るように、「おさとり」とはどんなものかは自分で実際に実践してはじめて会得し、知ることが出来るものであります。

これを「冷暖自知」という仏教語で表現しております。
「おさとりはすばらしいもの」だとか、「こうしておさとりを得た」とか、その他「おさとり」に関する事は仏典の各処に書かれておりますが、それは悟りのことを「
内証」(ないしょう)と申すように、「内証」(ないしょ)にしておくもので他人にいくら説明しても、その真実を伝えることは出来ません。

人間には他人にいくら頼んでも力になってもらえない事が沢山あります。
例えば他人に食べてもらっても自分の腹がふくれるわけでなく、人にいくら勉強してもらっても自分の頭がよくなるわけではありません。悟った人の話を聞くだけでは自分が悟れるわけではありません。

遺教経」(ゆいきょうぎょう)に「我は良医の病を知って薬を説くが如し、服と不服は医の咎(とが)にあらず」とあるようにお釈迦様の教えを自ら実践してはじめて真理を知るものであります。

大本山護国寺 貫
首 岡本永司