内証話しとか秘密の話しとか私達は普通に使っており、内容は同じように考えられております。しかしいずれも違う意味を現す大切な仏教語であります。
内証とは自分の心の内のたしかなさとりのことであり、秘密とは我々凡人には理解出来ない程深遠な教えのことであり、又仏教がわざと明にせず、隠された意味を持って私達衆生を導き、教えを説かれることを申します。
弘法大師は真言密教の教学を深く研究され、この秘密を二種類に分類されました。一つは衆生秘密で他は如来秘密であります。衆生秘密とは私達は本来仏心(仏性)を持っているけれども煩悩に犯され妄想がさかんであってその雲に覆われており大切な仏心が隠されてしまっている状態であることをさしております。この仏心が表面に現れることが弘法大師が説かれる即身成仏であります。
如来秘密とは仏様が私達を導き、教えをほどこされるに際して、私達の機根(能力)理解力がまだ充分ではないとして秘密にしておられることであります。例えば中学校では三から四は引けるとしてマイナスの数学を教えますが、小学校では三から四は引けないと教えます。これは先生が生徒の理解力を計っておるのであり、決して意地悪で秘密にしているのではありません。
この様に仏様はいろいろな手段(方便)を考えて私達を導かれるので時として相手に他の人と逆のことを説いたり敢て教えなかったりされます。この様に仏の秘密は程度の高いものでありますが、我々人間の考える秘密は企業秘密とか軍事秘密とか自己自国の利益優先の秘密ばかりであり、如来秘密は衆生を正しく救うために説いたり説かなかったりする高度なものであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司
4月22