慈悲はサンスクリット語で「マイトリー・カルナー」と申します。「マイトリー」とは友情とか友誼ということでこれは特定の人にだけもつ友情ではなくて、凡ての人に平等に持つ友情、友誼ということであります。
「カルナー」は悲しむ、痛むという意味で悲は鳥の羽が動かないで苦しむ有様を示している文字であります。「非の心」の反対は「是の心」と考えられます。是の心とは常に自分を中心とし自分の行いや考えを是即ちよしとし他を責める心であり、非の心とは自分の在り方や考え自ら責めて謙虚に反省する心がまえといえます。
自分の至らぬところ、自らの欠点を認めること自分の非を知ることが出来ればいたずらに他を責めることは出来ません。互いに助け合い手をたずさえて精進して行くことが出来るようになるはずであります。
経に苦を抜くを慈といい、楽を与えるを悲とす。即ち抜苦与楽なりとありますが、自分の心に慈悲心の種を植え育てて参るようつとめて参りたいものであります。
大本山護国寺貫首 岡本永司
5月27