昔から人間は本来善であるか悪であるかということが洋の東西を問わず考えられて参りました。即ち人間の性は善であるという性善説と、いや人間の本性は悪なのだという性悪説であります。ところで仏教ではこの人間の心、人間の生き方はじめ人生の行方についてどう考えているかと申せば善とか悪とかいうような決定したものはないのであると説いております。白紙状態であるとしこれを「無記」であるとしております。これを「無記性」と申します。このように人間の本性は始めから決まっているものではなく無自性であるという考えは大変大切なことであると申せます。なぜならば始めからどちらかに決まっているものであれば善に向って精進努力することも悪をいましめることも無意味なことになります。決まっていないからこそ自らの心をきたえ調べて人生を送る努力が求められることになるのであります。丁度水はそれを入れる器によって如何様にも変わります。私達の心即ち性も縁を得て変わる人々との関係或いは住む環境や風土によって変って行くことはご承知の通りであります。無記なるが故にどうとでもなる自性を仏のみ教えを頂いて豊かな美しいものに向ってつとめて参りたいものであります。大本山護国寺貫首 岡本永司