倒・顚 (さかさにする、ころぶ、狼狽)

心の転倒の原因を仏教では罣礙(心を覆うもの、さまたげ、邪魔)と申しております。

 

 (悪い心の働き、妄想、心身をわずらい悩ます精神作用)

   

    (限りなきむさぼり、とらわれ、強い欲望)

    (はげしい怒り、強いねたみ、うらみ心)

    (おろかな心、妄念、正しい判断が出来ない心)

これ等が私達の心を汚し、時には心身を亡す毒素であると説かれております。

此の煩悩により心が転倒する四ヶ条を示して常楽我浄の四顚倒をあげております。

一、        いつまでもいつまでもと願う心、いつまでもつづくと願う心。

二、       楽しい人生でありたい、苦しみや不都合をいやがる心。

三、       常に自分中心で考え行動し、我を通さんとする心。

四、       自分は善であり、正しいとし非難されることはないと思う心。

これ等は考えてみると私達の理想とするところであり、その実現に向って絶えず頑張っているのが私達人間の日常の姿であると申せます。しかしこれ等は到底満すことの出来ないことであり、正に道理に反する心のつまずきの原因となっていて、三毒煩悩や四顚倒の心の働きに振り廻され様々な苦悩が生じて来ると仏典には説かれております。仏教経典はこの私達のわがままな心の転倒を防ぐ方法を一生懸命説いていると申しても過言ではありません。その一つとして少欲知足の生き方を示しております。遺教経に「少欲を行ずるものは心即ち坦然として憂畏なし」「若し諸々の苦悩を脱せんと欲せば常に知足を行すべし」とのべ限りない欲望にブレーキをかけ制御することで心の顚倒を防ぐ手立てとせよと説いております。

大本山護国寺貫首 岡本永司