私たちはよく「初心にかえって」とか、「初心忘れるべからず」とか、自動車免許とりたての人は、初心者マークをつけて車の運転をしております。この初心というのは、未だ習い始めて不なれであり、未熟であるということと、物事を始めた時の純粋で、謙虚な気持、というように、二通りに使われたり、考えられたりしております。しかしこの二通りは、実は一つのことで、私たちが直面する凡てのことにあてはまることであります。そして初心とは、大切な仏教語でもあります。
即ち初発心(しょほっしん)のことで、発心(ほっしん)とは発菩提心(ほつぼだいしん)の略であります。
仏の教えを習い、実践して行こうと、初めて発した心ということであります。従って入りたてで、まことに未熟であるが、純粋で一生懸命に仏道を志す心が、初心の本来の意味になります。
この初心が一般に使われるようになったのは仏教に源を持つ能楽を大成された世阿弥がその能楽論書「花鏡」の中で「是非の初心忘るべからず時々の初心忘るべからず老後の初心忘るべからず」の句を残され、そこから初心の句が使われるようになったようであります。
世阿弥は、能を習いはじめた時の芸に対する心を忘れてはならぬと戒めたのですが、そこから何事に於ても最初の心持、真剣さ、そして目的を忘れてはならぬということになりました。私たちはややもすると初めの内は真剣に心をつくしますが、しばらくすると油断しがちであります。即ち初心忘れがちになり失敗することになりがちです。私たち仏教徒は、本来の初心の意味をしっかりと受止め菩提の心をおこし、仏道を歩んで参りたいと念じております。
大本山護国寺貫首 岡本永司